世界一に躍り出たミネルバ大学
「世界一の大学はどこか?」
そう問われて皆さんはどの大学を思い浮かべますか?
ハーバード大学、スタンフォード大学、これらは世界に名立たるブランドとして知られる大学です。
しかし、それらの大学を差し置いてでも入りたいと生徒が殺到する大学が存在します。
それが「ミネルバ大学」です。
ミネルバ大学は「今世紀最初の真のエリート大学をつくる」という発想から生まれた大学です。
カリキュラムは、そのコンセプトに相応しい、今までとはまったく異なる内容で構成されているのです。
例えば、4年間で7つの国際都市を巡回するというプログラム。
1年間に平均して2か国に滞在し、現地の人々との交流、異文化を肌で体験しながら、その国で何ができるのかを模索しつつ、学んでいくのです。
サンフランシスコ、ソウル、ハイデラバード、ベルリン、ブエノスアイレス、ロンドン、台北という言語も文化も大陸もまったく違う7都市で、政治の在り方、社会の構造を考察し、理論を実践という形で落とし込むために議論をしていきます。
そして、現地の企業、行政、NPOとの協働プロジェクトやインターンを通して、世界をよりよい方向に導く人材になるための経験を積み重ねていくのです。
これだけでも、「真のエリート」という言葉に相応しいカリキュラムが構成されていることが分かると思います。
世界で活躍することができる真のエリートとは?
「変化の速い社会で活躍するための実践的な知恵」
「複雑化した国際社会や異文化への対応」
これらが次の時代を牽引していく、真のエリートに求められる力です。
大学と実社会との隔たりがあるのは、日本だけではありません。
2014年に米国のギャラップ社が実施した意識調査では、「学生は社会で活躍できる準備ができていると思うか?」という質問に対し、96%の大学経営者が「そう思う」と答えています。
一方で、同質問に対し、「そう思う」と答えた企業は、わずか11%に過ぎなかったのです。
だからこそ、ミネルバ大学は、実際の企業、行政、NPOの職員と実際にプロジェクトを進めていく中で、絵空事ではない、実践的な学びを得ていくのです。
加えて、ミネルバ大学の授業は、「講義」という形式を徹底的に抑えています。
教師が話す時間は最高でも10分と決められており、すべての学生が最低でも75%の時間をグループワークや議論に参加するという能動的な活動に充てることになっています。
1つの授業につき、平均3~4時間の予習をして、効果的な議論ができる資格をもつ者しか、授業に参加することができないのです。
そもそも講義形式の授業を受けた学生は、解決策を導く議論のようなアクティブラーニング形式の授業を受けた学生に対して、55%も落第しやすいことが、ある調査で分かっています。
実践に落とし込むことができる要素を最重要と捉え、有言実行をしている大学こそが、このミネルバ大学なのです。
教授陣も、ハーバードやスタンフォードで教授として経験を積んできた人材はもちろんのこと、実際に企業やNPOを運営して、何が正解か分からない世界で一定の成果を挙げた人材が選ばれています。
ちなみに、ミネルバ大学には校舎がありません。
授業は全てオンライン。
だからこそ、学費は普通の国公立の大学並みの基準を実現しています。
さらに75%が留学生であり、名実共に誰にでもその門戸が開かれているのです。
今、世界で最も注目されている大学と言われる所以が理解できるのではないでしょうか。
日本の教育への問題提起
世界の最先端がこのように変わりゆく中で、日本の大学はどのような動きをしているでしょうか。
変わらず、講義形式で授業が進み、現実世界でその学びをどう生かすかが話し合われないまま、単位を取得するために内容を覚えるといった、従来の大学入試までに行ってきたことを、また大学でも繰り返しているのではないでしょうか。
そして、そのような現状で本当に良いのでしょうか。
終身雇用の終焉。
少子高齢化の加速。
増税による社会保障の圧迫。
今までの、「安定が約束された日本」はもうどこにもありません。
自らが解決策を見つけ出していくしかない社会に近づいているのです。
ミネルバ大学の入試は、合格率が1.9~2.8%と狭き門です。
そこで問われるのは、「あなたは何者か?」「どのように思考するのか?」「何を成し遂げてきたか?」といった3つの内容です。
学校での成績という勤勉さが求められる要素も大切にしながら、創造性、計算、推論、文章表現、口語表現の試験を通して、潜在的な思考やコミュニケーション能力の評価を行います。
そして自分が学校の課題以外で実施したプロジェクトとその活動成果を根拠や証拠をもって証明することが求められるのです。
人間性と自ら考える思考力、そして行動力が問われます。
「日本とはあまりにもかけ離れていて現実味がない」
そのように思われる親御さんやお子さんもいることでしょう。
しかし、このミネルバ大学のカリキュラムを見て、世界各国がそのコンセプトを真似ようとしています。
日本も例外ではありません。
これからの時代は、何でもそつなくこなすバランスのよい優等生が求められるのではなく、自分の頭で思考し、実践し、トライ&エラーを繰り返すことができる行動型の人材こそが求められるのです。
既存の言われたことだけをただこなす層と、その危うさに気付き、自らの足で動き始めた層とでは、社会で活躍し、貢献する度合いに大きな差が生まれます。
大人になってから、そのことに気付いていていたのではもう遅いのです。
だからこそ、幼少期にどのような教育が施されるべきかがとても重要になってきます。
私たち日本人は、そのような点をもっと真剣に考えなくてはいけません。
子どもの好奇心を曇らせないために大人ができること
令和4年に出された経済産業省の「未来人材ビジョン」には、日本の現状の問題点がまとめられています。
「現在勤めている会社で働き続けたい」と考える人の割合が低いことに加え、「転職したい」という人の割合も低い、且つ、「起業したいと考える人」の割合も低いのです。
働きたいと考える人の割合が52%、転職、起業の意欲に関しては25%と16%です。
つまり、何も意欲的にしたくないという人の割合が諸外国の人々に比べ、相対的に見て圧倒的に高いのです。
今や日本の部長の平均年収はタイの部長の平均年収に抜かれています。
このまま何もせずに周囲と同じように公立の学校に行かせ、塾に行かせ、受験をし、大学に受かり、社会人になるというオーソドックスな道では、社会に出るころには、周囲に溶け込み、埋もれてしまう人材になってしまう恐れがおおいにあります。
だからこそ、親御さんには自身の考えで、お子様の未来に何が必要かを考えていってほしいのです。
お子様の好奇心、人間に本来備わっている成長する喜びを大切にしてほしいのです。
「とにかく教えずに、待つ」という子どもの好奇心を最も尊重するマインドを中心とし、圧倒的な学力を付けさせ、自らの頭で思考する人間に育てたいという我々「飛び級教育システムラボ」の思想も、そのような事実をベースとしています。
我々でなくても構いません。
お子様の好奇心、本当の意味での主体性を大切にする教育を、様々な教育事業を活用しながら、実現していってほしいと思います。
もちろん、私共に声を掛けていただけるなら、喜んでそのお手伝いをさせていただきます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。